チャレパンが行く

厄年に胞状奇胎と肺腺癌0期。抗がん剤は回避できて幸せ!な備忘録

胞状奇胎⑦

 

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カットオフ

 

カットオフ値=陰性化 

胞状奇胎はhCG0.5mU/ml未満になります。

23週目で私のhCGは0.5でしたので、カットオフにはなりませんでした。

一週間後にカットオフ判定してもいいし、妊娠を急いでいないなら1ヶ月後にカットオフ判定するか選択肢をもらいました。

23週目は、肺の手術後1週間ほどで体調があまり良くなかったのと、肺の術後半年は妊娠をお奨めしないといわれていたので、迷わず1ヵ月後を選択し、27週目にカットオフとなりました。

胞状奇胎が発覚して、ちょうど半年の時期でした。

順調型でしたら2ヶ月でカットオフ、3ヶ月で月経が開始することも少なくありません。

本当に長い半年間でした。

カットオフ判定後に3回月経がきたら妊娠許可と言われているので、後は上がらないことを祈るのみです。

受診は1ヶ月半後、3ヵ月後に行く予定です。

基礎体温は、肺の術後熱で不規則でしたが、ここ一週間安定した体温になっており、また2層性になりそうな感じはあります。

 

小話 採血のお供

胞状奇胎の受診は1時間半前に採血して、予約時間に婦人科に行くという受診スタイルでした。

採血結果に一喜一憂し、悪いと抗がん剤が待ち受けている心臓に悪い採血だったので病院内で待つのはしんどく、私は病院から徒歩3分のところにあるスターバックスでいつも過ごしていました。

普段スターバックスを利用するときは、カフェラテが好きなのでスターバックスラテばかり頼むのですが、この採血待ちは少しでも気落ちを防止したい!という気持ちが強く、毎回限定フラペチーノを頼んでいました。

あまり限定とかに興味が無い質なので、よほど好きな素材じゃない限り頼むことは無かったのですが、7~12月の限定制覇しました(笑)

個人的に一番面白い味だったのは、お芋のフラペチーノ。お洒落な飲む芋けんぴで、思わず元気にしてもらいました。

 

長期的な病院通いは、どうしても億劫で気落ちもしがちになります。

病院にいったら、これをしよう!これを試してみよう!!って楽しみを作るのは大切なことかもしれません。

ただ、治療費がかさむ中での家計を圧迫するような楽しみ方はNGです。

自分はお小遣いの許す範囲で楽しんでいました。

 

一旦おしまい

 

この記事で、この半年間に起きた事で書き溜めておきたいことは終わりになります。

今後は、胞状奇胎の2次管理や肺腺癌のフォローで書き留めたいことがあれば更新する不定期更新になります。

つたない文章にお付き合いいただきありがとうございました。

 

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肺腺癌⑩ 妊娠合併肺癌

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病理結果

病理結果は2~3週間で出るといわれており、退院後最初の受診日は2週間と2日でした。

結果は出ており、7mm・上皮内癌・肺腺癌と診断されました。

術前に言われていた・炎症・前がん病変・癌 の中で一番悪いもので、ためらわず手術して正解なものでした。

上皮内癌は非浸潤癌とよばれる0期になります。肺癌を調べた方は、ステージの分類を見たことがあると思いますが、T=大きさ N=リンパ節転移 M=遠隔転移で分類されそれを当てはめた表で1a〜4期のステージが決まります。

0期は病期決定の表に入っていないことが多いのですが、0期と1期の違いは、がん細胞が発生しているところにとどまっているか、他の細胞まで浸潤しているかということです。

主治医の説明でも同じ初期では0と1では全然違っていました。

1期は手術で綺麗に取れたとしても他の細胞に浸潤しているため、再発のリスクは0ではありません。しかし、0期は浸潤していないので、手術で取りきることができれば再発のリスクは基本的にありません。もちろん転移の可能性も無しです。0期で再度肺癌が発生したときは多発(関係の無いもの)になります。よって手術が終われば完治なので、抗がん剤も必要ありません。ただ、一度なったら多発する率は高くなるので、0期も5年間はレントゲンフォローするとの事でした。

肺癌は0期で見つかることはめったにありません。レントゲンに写らないからです。そして肺癌は検診のレントゲンで見つかったときには1期以降多くは2期以上で、症状が出ていたら3~4期であることが多く早期発見が難しいみたいですね。そして治療成績もあまり良くない。だから日本人の死亡率1位の癌なんだろうなって私は思っています。

私も胞状奇胎の経過が悪くなければ、CTもレントゲンも撮ることは数年単位でなかったでしょう。

そのときには・・・。

 

 

 妊娠合併肺癌

もしもの話になりますが、胞状奇胎の妊娠が正常妊娠であれば、私の病名は妊娠合併肺癌というものになります。

妊娠合併乳がんと妊娠合併子宮がんは比較的に多く、症例や対応のノウハウもあります。しかし、肺癌は若年性が少なく妊娠と合併した症例はあまりありません。ネット上に落ちていた論文では”初めて出会ったから報告する”言ったものが見つけられました。

 

 論文の内容によって、癌と妊娠の関連性を否定する意見と影響するといった意見が綺麗に分かれていました。多かったのは影響するという意見のほうであり、私の呼吸器の主治医も「がん細胞は発生したとしても普段は免疫細胞に抑えられているが、妊娠は胎児を守るために自己の免疫力を下げるため癌は育ちやすくなる」との考えを持たれる医師でした。正直、私もTVや本の影響を受けていますが、癌は免疫で治す!!免疫力UPで癌にならない!といったことをよく耳にするので、妊娠は癌に悪影響であるという意見のほうがしっくりきます。またもう一つ、妊娠によって分泌が増えるエストロゲンによって癌を大きくさせるといった意見も見つけられました。

妊娠合併肺癌は、胎児への被爆の問題で被爆量の多いCTは倦厭されることから発見が遅れる傾向にあります。症状が酷くなり検査したときにはステージ3や4なことが多く、経過の悪い報告ばかりでした。ブログの闘病記を探した結果も同じでした。1期で見つかり存命された方のものは1つしか見つけることができませんでした。経過の良かった方は報告されていない、ブログをつけられていないだけであればいいのですが・・・。

私も胞状奇胎になっていなければ、経過が悪くなければ、CTを取っていなければ、タラレバの話になりますが、片手の年数で命を落としていたかもしれません。肺癌末期の5年生存率は4.6%しかないんです。

胞状奇胎になってから悪いことしか言われず、精神的に辛い月日でしたが、最終的に抗がん剤のつらさも死の恐怖も経験することが無く治療することができました。

経過観察になった今、大厄の厄はいっぱい襲ってきましたが、年越す前に全てやっつけることができ、それはとても幸運であったのだと受け止めています。

 

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肺腺癌⑨

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退院後1ヶ月の生活

 

 

日常生活と育児

私は胞状奇胎になってから中等度の抑うつ状態になり、休職で病状を随時会社に報告しに行くのが辛く、経過不良となった時点で精神的に限界で退職を選んでいました。

 なので、この時点では3歳の子持ちの専業主婦でした。

子供は入院の前日から義実家に預かってもらっており、退院後に迎えに行く予定でしたが、痛みで右手が上がらない・息切れが強いので3歳児の相手をするのは辛いと夫や義両親が理解を示してくれ、入院中と退院後1週間を義実家でお世話してもらいました。

夫はやる気はありましたが、それまで共働き時でも9割がた私が家事・育児をしていたので、いきなりできるわけが無く、退院後2日目からゆっくり家事をし始めました。料理は立っていられないのでお惣菜・レトルト・お鍋をフル活用です。

1週間後あたりに電動自転車の電動サポート強であれば自転車に乗れ、保育園の送迎ができるようになったので、息子を迎えに行きワンオペ育児を再開しました。

保育園までは呼吸機能的に歩ける距離ではなく、痛みからハンドルキープができないので車にも乗れなく、電動自転車に乗れるのが息子のお世話を始める最低ラインでした。

保育園に助けてもらわず、3歳児を家庭でずっとお世話するのは絶対にできない体調でした。

術後一ヶ月あたりでやっと普通に歩くことができるレベルまで痛み軽減と呼吸のコントロールができるようになりました。

ただ、手抜きしまくりのだら主婦・息子のこと意外は適当万歳な生活ができる程度で、仕事ができる気は全くしませんでした。30分も動き続けたら激しい息切れでめまいがしました。

 

痰と咳

痰は術後翌日だけ血性痰が出ましたが、2日目から透明な痰になり、排痰も右脇を押さえ何回かに咳を分ければスムーズにできていました。

ただ、傷の痛みがましになってきた術後2週間から咳が酷くなり、気管支もゼロゼロいっていました。喘息みたいな状態ですが、息ができないほどではなく、2日後に退院後の初受診があったので様子を見ていました。

受診結果、右肺下葉が半分くらい胸水に浸かっており、それが刺激になって咳が出ているとのことでした。ただ、この程度の胸水は想定範囲内であり自然と消失するが2ヶ月はかかると言われました。

受診中も延々と咳をしていたので、リン酸コデインを朝夕で2か月分処方してくれました。リン酸コデインモルヒネと同様アヘンアルカロイドの一種で麻薬系弱オピオイドになるので、大量にくれてびっくりです(笑)

朝夕2回/日で出すけど、酷いときは毎食後3回/日で飲んでいいと言われており、最初の数日は3回使用し、これのおかげで咳は半減し大分楽になりました。

術後1ヶ月を迎えるころには咳が出だしたら1日1回だけ飲むって程度に内服量も減っていました。

 

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肺腺癌⑧

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術後の回復について(後編)

 

 

内服薬

 

私が入院中に定期で処方してもらっていたのは2種類だけです。①ネキシウム ②ルネスタ です。

 

①ネキシウムは胃酸を抑える効果のある胃薬です。朝一回だけの内服で術後4日目まで飲みました。

痛み止めはロキソニンなどの内服薬だけでなく点滴でも胃を荒らします。

胃に直接入れないからとかは関係なく、痛み止めの成分自体が影響します。私は看護師になる前は、胃に直接痛み止めを入れるから胃が痛くなるのであって、座薬や点滴は大丈夫だと思っていました。こう思ってる方は多いのではないでしょうか?

実際に痛み止めは、翌日まで点滴でアセリオとロピオンを使い、2日目からはロキソニンカロナールを術後5日目まで12時間毎に使っていましたが、胃が痛くならずにすみました。

術後の痛みは我慢すべきものではないので痛い時は使うのが正解です。もちろん最低6時間以上空けるなどのルールは守って。しかし胃痛が強く出た場合は使えなくなることもあります。痛み止めと胃薬は切り離せない存在ですね。

 

②ルネスタ睡眠導入剤です。私は睡眠が浅く精神的に弱ってるときは眠れなくなるので、最初から申告してルネスタをもらいました。ルネスタを飲むと私は夜中に目が覚めることは無いので、快適大部屋生活を送れました。

 

活動量

 

2日目からはゆっくりであれば7階の病棟から1階のローソンへ行くくらいはできました。ナースコールも押すように言われたとき意外は一度も押さずです。元看護師ゆえに看護師の業務の多忙さを理解しているので、動けない時以外は押せませんでした。基本的に詰め所の誰かに対応してもらえれば、というものは全て自分で動いていました。(アイスノン欲しいなど)

ただ、退院するまで37度後半の熱があり、100mほど歩くと右肺が動かない感じがあり息苦しさは常にありました。そのせいで続けて動くのはしんどかったです。でも動かないのは便秘にもなるし回復が遅れる一番の原因!とローソンのカフェオレをご褒美に院内あちこち歩き回っていました。本当にしんどいときは病棟周辺ですぐに助けを求められることには気をつけながら。

一番辛かったのはエレベーターが来ず10分ほどホールで立ちっぱなしだったことかもしれません。

 

年齢層と退院

 

術後翌日は病室でレントゲン、2日目は自分で放射線科まで歩いて行ってレントゲン。(しんどければ、助手さんに車椅子で連れて行ってもらうこともできました)

見るからに自由に動いていたら「術後6日目に採血して7日目に退院と思ってたけど、回復早いから早く帰りたい?」と主治医に聞かれ、帰りたい!って返すと、3日目に採血して結果がよければ5日目の朝に退院予定組んでくれました。

5日目が日曜日で、迎えに来てくれる夫が休み調整をせずに済むので5日目退院に飛びつきました(笑)

採血は問題なく5日目に退院。主治医に「ほぼ全てが最短。若いってやっぱ違うね~」と笑いながら言われました。そうなんです、肺癌は40歳代から統計が取られ60~70代の方が多いので、病棟内も20代の子が一人、30代は私だけ。あとは見るからに50歳以上の方ばかりでした。一度、空調の調子が悪くて病室が低温サウナのようになったので、動ける人はみんなデイルームに集まることがありそこで知りました(笑)

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肺腺癌⑦

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術後の回復について(中編)

シャワーだけだけどお風呂に入れました。

 

 

点滴と硬膜外麻酔とお風呂

術後2日目に両方抜いてもらいました。

点滴は術後翌日にご飯が食べれたら抜いてもよかったのですが、痛みが強くて6時間ごとにアセリオ入れもらっていたので、念のために2日目まで残してくれました。

硬膜外麻酔は予定通り抜きました。入れるときはえらい目にあったけど、抜くときは全く何も感じません。ふわっと触った?と思ったら抜けている感じです。

これで全部抜け自由の身になり、午後からお風呂も入っていいよ!って言われました。

2日でシャワーOKです。びっくりです。傷への感染予防で浸かるのは禁止ですが嬉しかった。

ただ、痛みや傷が突っ張る感じは強くあったので、病棟ルールの20分じゃ入れる気がしないので40分時間を確保させてもらい入りました。 

右手が肩以上あげると痛いので結構苦労しましたが、ゆっくりどうにか自分だけで入浴できました。

 

安静度

ドレーン抜けるまでは痛みでぐったりしてたので気になりませんでしたが、身軽になったらどこまで行って良いのかが気になりだしました。

お風呂上りに聞いてみると、病院から出なければどこ行っても良いと。

マジか・・・2日目でいろいろ自由になりすぎて戸惑いました。

でも、ここぞとばかりに重たい体を引きずりながら院内ローソンまで行きました。

私がそこまで安静度が気になったは、私にはお見舞いに来てくれるのが夫しかいませんでした。そんな夫も平日は仕事が多忙で病院まで来てくれる余裕はありません。

問題は飲み物です。自分でローソンまでいけないと病棟の自販機とお湯で我慢するしかありません。冷たい緑茶が欲しかったのでがんばりました。

術後は主治医から「無理しようと思っても、肺は無理できないからね~。でも、身軽になってすぐに階段で11階まで行って不整脈起こした人居るからエレベーター使ってね」と言われていました。

私はエレベーター使って7階の病棟から1階のローソンに行くだけで、息が何回も止まりそうに息苦しくて5回くらい休んだので、主治医の話を術前は笑って聞いていましたが、不整脈起こした方、超人過ぎるだろ・・・って恐ろしくなりました。

 

痛み

私のペインスケール10は息子出産時の、帝王切開後に子宮収縮剤を急速投与された後陣痛。15cmある傷の痛みがわからなくなるレベルで痛かった。

入院中に一番痛かったのは最初のご飯の後。スケールで8。

術後は硬膜外麻酔とアセリオのおかげかドレーンありで5くらい。翌日にドレーンを抜いたら1~2に落ち着きました。

2日目に硬膜外麻酔を抜いたら傷の痛みがわかりだし2~3。ロキソニン60かカロナール500で12時間は1にコントロールできたので3日目にはローソンにコーヒーとおやつを買いに行ったくらいです。自己管理は最初セレコックスを渡せされていましたが全く効かず、看護師さんに訴えても信じてもらえなかったので、わざと検温の1時間前に飲んだ上で脈が100回/分超えしてたことでセレコックスじゃ3の痛みが消えないことを信じてもらえ、ロキソニンをゲットしました。

3の痛みは脈速くなるし寝れないけど我慢できる程度。「寝なくて良いならいらない」って脅し文句を添えときました。

 

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肺腺癌⑥

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 術後の回復について(前編)

歩行練習と体の管

術後翌朝にはドレーン・硬膜外麻酔・点滴以外は全てはずしてもらえました。

10時に歩行練習をするために9時に点滴から痛み止めを入れました。

そのときのペインスケールは5。歩行練習を行うときは2~3くらいの痛みに抑えられていました。

ドレーンが体内と挿入部ですれてるところが痛むので一人で起き上がるのは難しく、看護師さんに手伝ってもらいました。主治医付き添いのもと、往復で20mの歩行がスムーズにできたので尿道カテーテルを抜いてくれました。

ただこの時、血圧のコントロールを体がうまくできず、すぐに80台に下がり気持ち悪くなるので、トイレまでたどり着けそうにありませんでした。でも、「尿道カテーテル嫌でしょ?トイレはポータブルでも車椅子でもどうにでもできるから抜こう!」って看護師さんが言ってくれたので抜けました。

 

回復室を退室して大部屋へ

私は病院の個室が嫌いです。壁越しにいろいろ音はするのに一人とか怖い。人の気配のする大部屋のほうが好きです。

あと、回復室には録画機能の無い監視カメラがついていました。状態の悪い方や、急変しやすい超急性期の方を詰め所からモニターするためです。常に見張られている環境からすぐにでも脱出したかったので、歩行練習後すぐに大部屋へ移してもらいました。

大部屋に戻って以降は、1回目のトイレは血圧が下がり歩けず車椅子で連れて行ってもらいましたが、2回目からはゆっくり歩いて自分でトイレへ行くことができました。

大部屋で一息つくと一気に緊張は解けて、回復を直に感じられた事がすごく嬉しかったです。

 

ご飯とドレーン

術後目が覚めてから、私はとにかくドレーンが痛かったです。

主治医は「慣れるしかない」って言っていましたが、本当に挿入部も管が通ってる中も痛かった。

なので、本来なら術後2日目に抜くのですが、術後最初のご飯が翌日の昼から始まり、それを半分くらい食べれて排液の色が変わらなければ、その日の夕方に抜いてくれることになりました。

もう抜いて欲しさに必死です。痛いのを我慢して休み休み食べましたが、ドレーンの通っている背中が痛いせいで、気持ち悪くなってきて半分でギブアップ。

その後、徐々に気持ち悪さと背中の痛みは8まで上がり、息がしにくいところまで痛くなりました。そこで初めて「痛い。助けて」とナースコールしましたが、歩行前にアセリオを点滴でいれ、歩行後にロピオンを点滴でいれ、昼食前にセレコックスを内服していたので、結構MAXまで痛み止め入れてるから今は使えない。あと2時間でアセリオ使えるからがんばって!と言われ、ひたすら腹式呼吸で痛みを逃して耐えました。その後にアセリオを入れてもらえたときは泣きそうになりました。

排液はご飯後も変化することは無く、約束通り夕方にドレーンを抜いてもらえました。痛みが瞬時にとれて開放感が凄かったです。ただ抜くときが、そこまで痛くないって聞いていたのに、背中の中を思いっきりドレーンでこすられる感じで激痛が走り、挿入部を1針ぎゅっとした感じに「痛い痛い痛い痛い痛い」っ言い続けてました。本当に痛かったので、縫われた!?って思っていたのですが、縫っては無くドレーンを留めていた糸を触っただけで、それは2日後に抜糸してくれました。

ご飯と排液の関係は、肺に傷があると胸水が”乳び色”になり、それを消化器を動かすことで確認ができるんだそうです。なので、イチゴミルクみたいな排液が出てきたらドレーン抜くことはできないけど、淡血性のままなら早く抜いてもリスクは変わらないからと抜いてくれたのでした。

イチゴミルク拝まずに済んで本当によかったです。

 

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肺腺癌⑤

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術後 (当日) 

 

 覚醒と痛み

手術が終わり目が覚めたのは、術前に教えてもらっていた病棟の回復室でした。

意識が戻ってから挿管を抜くとか、手術室から病棟に戻るとかよく聞きますが、私は全く覚えていません。

意識が戻ったときには口も自由に動くし、痛みもあまりありませんでした。

 

目を開けたら夫と夜間の担当と言う看護師さんの二人がいました。

頭はぼんやりしていましたが、しんどくは無かったです。

そのせいか、手術室での嫌な思い出=硬膜外麻酔のことを2~3回夫に愚痴りました。

私は2~3回と思ってましたが、実際には10回以上同じことを言ったそうで、わかってはいるけど、「はいはい、大変やったね」って同じことを繰り返しなだめるのがすごくめんどくさかったと、退院してから夫に言われました(笑)

 

手術は2時間ちょっとと時間通り終わり16時ごろには病棟に帰ってきたそうで、私の時間感覚が戻ったのは17時頃でした。

夫は面会時間終了まで居て話し相手をしてくれましたが20時に帰宅。看護師さんがしんどくなければスマホつかってもいいよって渡してくれたので、夫が帰って早々ツイッターで遊んでいました(笑)

様子を見に来た主治医にツイッターで遊んでいる姿をみられ、「さすが若いなぁ・・・手術後すぐにツイッターして遊んでる人あんまり居ないよ?」って笑われました。

手術は予定通りで出血量も少なく、現状ドレーンも淡血性で量も多くないと。元気そうやし、回復早そうだねって言って主治医は帰っていきました。

麻酔がはっきりして来るにつれて体の違和感や痛みがわかり出しましたが、挿管後の違和感は軽度で尿カテの違和感は慣れてました。手術部位の痛みはペインスケールで5程度。傷がというよりドレーンの入っているところが痛かったです。

また、熱が徐々に39度まで上がったのでめちゃくちゃ暑くてしかたありませんでした。

 

眠れない夜といろんな管

①右脇にドレーン ②左手に点滴 ③尿道カテーテル ④心電図モニター ⑤サーチュレーションモニター ⑥血圧計のカフ ⑦1Lの酸素カニューレ ⑧フットポンプ ⑨硬膜外麻酔 でした。

左手首にはAラインの抜去跡があり少し痛みました。(手術中に動脈で血圧や脈拍、酸素濃度をモニターするために入れるそうです。ただ手術室から出る前に止血確認するので、入ってるところは見れないよーって手術前の担当看護師さんに教えてもらっていました)

 その晩は、足のポンプは気持ち良いけど気になるし、ドレーンはずきずきするし、2回ほどいきなり吐き気に襲われて薬入れてもらって落ち着いたら1時間毎の血圧測定の加圧が始まったりと、疲れて寝たいのに1~2時間ごとに起こされる夜を過ごしました。

 

看護師さんは天使でした

このとき担当してくれた夜間の看護師さんが、天使のようにやさしくて穏やかなのに、的確に対応してくださる方で感謝しかありませんでした。天使の顔はイモトアヤコさんの顔を美人に修正した感じの方で、退院後イモトさんがテレビに出ると少しテンションが上がります。

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