チャレパンが行く

厄年に胞状奇胎と肺腺癌0期。抗がん剤は回避できて幸せ!な備忘録

肺腺癌⑥

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 術後の回復について(前編)

歩行練習と体の管

術後翌朝にはドレーン・硬膜外麻酔・点滴以外は全てはずしてもらえました。

10時に歩行練習をするために9時に点滴から痛み止めを入れました。

そのときのペインスケールは5。歩行練習を行うときは2~3くらいの痛みに抑えられていました。

ドレーンが体内と挿入部ですれてるところが痛むので一人で起き上がるのは難しく、看護師さんに手伝ってもらいました。主治医付き添いのもと、往復で20mの歩行がスムーズにできたので尿道カテーテルを抜いてくれました。

ただこの時、血圧のコントロールを体がうまくできず、すぐに80台に下がり気持ち悪くなるので、トイレまでたどり着けそうにありませんでした。でも、「尿道カテーテル嫌でしょ?トイレはポータブルでも車椅子でもどうにでもできるから抜こう!」って看護師さんが言ってくれたので抜けました。

 

回復室を退室して大部屋へ

私は病院の個室が嫌いです。壁越しにいろいろ音はするのに一人とか怖い。人の気配のする大部屋のほうが好きです。

あと、回復室には録画機能の無い監視カメラがついていました。状態の悪い方や、急変しやすい超急性期の方を詰め所からモニターするためです。常に見張られている環境からすぐにでも脱出したかったので、歩行練習後すぐに大部屋へ移してもらいました。

大部屋に戻って以降は、1回目のトイレは血圧が下がり歩けず車椅子で連れて行ってもらいましたが、2回目からはゆっくり歩いて自分でトイレへ行くことができました。

大部屋で一息つくと一気に緊張は解けて、回復を直に感じられた事がすごく嬉しかったです。

 

ご飯とドレーン

術後目が覚めてから、私はとにかくドレーンが痛かったです。

主治医は「慣れるしかない」って言っていましたが、本当に挿入部も管が通ってる中も痛かった。

なので、本来なら術後2日目に抜くのですが、術後最初のご飯が翌日の昼から始まり、それを半分くらい食べれて排液の色が変わらなければ、その日の夕方に抜いてくれることになりました。

もう抜いて欲しさに必死です。痛いのを我慢して休み休み食べましたが、ドレーンの通っている背中が痛いせいで、気持ち悪くなってきて半分でギブアップ。

その後、徐々に気持ち悪さと背中の痛みは8まで上がり、息がしにくいところまで痛くなりました。そこで初めて「痛い。助けて」とナースコールしましたが、歩行前にアセリオを点滴でいれ、歩行後にロピオンを点滴でいれ、昼食前にセレコックスを内服していたので、結構MAXまで痛み止め入れてるから今は使えない。あと2時間でアセリオ使えるからがんばって!と言われ、ひたすら腹式呼吸で痛みを逃して耐えました。その後にアセリオを入れてもらえたときは泣きそうになりました。

排液はご飯後も変化することは無く、約束通り夕方にドレーンを抜いてもらえました。痛みが瞬時にとれて開放感が凄かったです。ただ抜くときが、そこまで痛くないって聞いていたのに、背中の中を思いっきりドレーンでこすられる感じで激痛が走り、挿入部を1針ぎゅっとした感じに「痛い痛い痛い痛い痛い」っ言い続けてました。本当に痛かったので、縫われた!?って思っていたのですが、縫っては無くドレーンを留めていた糸を触っただけで、それは2日後に抜糸してくれました。

ご飯と排液の関係は、肺に傷があると胸水が”乳び色”になり、それを消化器を動かすことで確認ができるんだそうです。なので、イチゴミルクみたいな排液が出てきたらドレーン抜くことはできないけど、淡血性のままなら早く抜いてもリスクは変わらないからと抜いてくれたのでした。

イチゴミルク拝まずに済んで本当によかったです。

 

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